2017/09

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13:43
自由民主党所属の国会議員「平沢勝栄」さんを応援するtwitterです。日本の政治家である平沢勝栄さんにまつわる、あんなエピソードや、こんなエピソードまで、沢山ご紹介いたします。平沢勝栄さんを応援してくださる皆様方のフォローもお待ちしておりますので、是非よろしくお願い致します。
13:44
平沢勝栄さんは言う「国会議員はもちろん選挙活動だけをやっているわけではない。まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ」と。では国会議員の仕事にはどんなものがあるのか、後日紹介していきます。
16:36
平沢勝栄の仕事1:国会の仕事。本会議や各委員会に出席して様々な審議を行う。国会は立法府なので、国会議員は法律を作るのが最大の仕事になる。自民党員の場合、通常二〜三の委員会に所属し、委員会運営に当たったり、質問したりする。
13:51
平沢勝栄の仕事2:内閣府副大臣としての仕事。平沢勝栄氏は2007年8月末まで内閣府副大臣だったので、副大臣として各種会議への出席、国会答弁などがあった(その後9月10日から衆院外務委員長として、外交案件の円滑な審議に腐心している)
13:25
平沢勝栄の仕事3:党としての仕事。部会や勉強会に出席し、懸案事項の議論を行う。ここで法律案も含め党の方針は全て決まり、その後、政務調査法、総務会を経て最終決定に至る。法案には政府が提出する閣法(内閣提出法律案)と、議員が提出する議員立法がある。いずれの場合も党内での議論は必須。
16:58
平沢勝栄の仕事4:関心があって個人的に取り組んでいる問題。平沢勝栄氏の場合で言えば、北朝鮮による拉致問題や臓器移植問題、教科書問題などがそれに当たる。個別の問題に取り組むためテーマ別に多くの議員連盟があるが、平沢勝栄氏の場合、関心のある百をはるかに超える議員連盟に所属している。
13:53
平沢勝栄の仕事5:党等の要請に応じ選挙応援、自民党支部大会での講演のため全国各地へ。マスコミ取材やテレビラジオ出演、国内外のメディアからの取材や大学等の講演も議員活動に欠かせない。内外の学者や学生も情報収集を兼ね訪れることが多いため応じる。慶応大学で講師として週一回教鞭をとる。
14:18
平沢勝栄の仕事6:情報収集を兼ねた会合に出席すること。議員として情報収集を兼ねた勉強をするため、マスコミ関係者や学者、それに在日の大使館関係者などとの会合は欠かせない。
15:06
平沢勝栄の仕事7:いろいろな要望・陳情の処理。
11:46
平沢勝栄の仕事8:地元での国政報告などの後援会活動。
11:42
平沢勝栄の仕事9:冠婚葬祭をはじめ日常行事への参加。
11:17
1995年12月、自民党の公認候補として東京十七区に事務所を構えた時、当然のことながら平沢勝栄氏は後援会を持っていなかった。政治家にとって後援会というのは、膨大な時間と労力をかけて作りあげるもので、いわば政治家の命綱だ。
11:34
二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることから極めて楽な選挙となるが、当時、平沢勝栄氏にはその基盤となる後援会が全くなかったのである。
12:45
平沢勝栄氏が自民党の公認候補となる以前は中選挙区制で、小選挙区制の導入で新たに中選挙区の一部が東京十七区となった。元々は島村宜伸さんと鯨岡兵輔さんの先輩二人が地盤としていたところである。
12:45
後藤田正晴氏の働きかけもあって、島村さんは自身の後援会の集会で平沢勝栄氏を紹介し、次の衆院選では「東京十七区では自分に票を投じることはできないので平沢勝栄氏を応援するように」と要請してくれた。そのおかげで、後に立ち上げた私の後援会には旧島村後援会の幹部の人達が名前を連ねてくれた。
12:52
鯨岡さんは当時、衆院の副議長だった。衆院議長や副議長は、広汎かつ強大な権限を有していることから厳正、公平、中立を要求される。このため普通は党籍を離脱する。そういった中で鯨岡さんは後藤田さんの依頼もあって自らの後援会員に対し平沢勝栄氏の後援会に鞍替えするよう働きかけてくれた。
12:52
後に平沢勝栄氏は「多くの人たちのおかげで、そしてとりわけ島村さん、鯨岡さん二人のおかげで当選できたようなものである」と語る。
12:21
その後平沢勝栄氏は、強固な支持基盤を構築するため三種類の後援会づくりに力を入れた。それは「一定の地域を主体とした地域後援会」「農協関係、税理士会有志など特定の母体を中心にした後援会」「政治資金を集めるための後援会」などである。
11:48
平沢勝栄氏はなぜ後援会づくりに励んだのか。1つは、選挙区が下町とはいえ都市部にあるからだ。無党派層の多い都市部ではあるが、確実な固定票を確保しておく必要があると考えたからだ。
12:31
もうひとつは、平沢勝栄氏が東京十七区に縁もゆかりもなかったからだ。生まれ育った場所ではないので、個人的な支持基盤は皆無だった。だから長く政治活動を続けるためにも強固な後援会が必要だったのである。
11:43
後援会づくりでは島村氏、鯨岡氏から多大な協力を得たが、それでも簡単ではなかった。何しろ平沢勝栄氏は落下傘候補の、地域に馴染みのないよそ者だ。島村氏や鯨岡氏の後援会の人達にお願いしても当初は、平沢氏の人柄も知らないし、政治的資質もわからないのだから、その人達の反応はイマイチだった。
11:34
このような状況下、強固で永続的な組織作りを目指して何とか幹部の人選を終え後援会を立ち上げた平沢勝栄氏。まずは選挙区内の全ての地区をカバーする組織作りを心がけた。小選挙区では限られた地区だけに頼っていたのでは勝てない。選挙区全体をクモの巣のように細かくカバーする後援会作りが必要だ。
12:39
そのために平沢勝栄氏は、葛飾区を七ブロックに分けて、当時十五人いた自民党区議に、それぞれの地域を担当してもらった。区議会員がいない地域には、後援会の幹部に同様の役割を担ってもらった。
11:40
平沢勝栄氏は支持基盤をより強固に、しかも拡大するために、業界団体と連携した後援会の体制づくりを目指した。
11:57
平沢勝栄氏は後援会の人たちに頼み、色々な業種、分野の有力者に接触。農業、商業、医療、教育(退職校長)、同窓会、県人会、趣味のサークル、スポーツ関係者など、ありとあらゆる分野の人達に後援会の世話になってもらった。そして、それぞれをつなぎ、ネットワークを広げたのである。
12:14
多くの人々の労を惜しまぬ努力のおかげで何とか後援会らしきものが結成され、それがその後充実され、現在平沢勝栄氏の後援会員は約六万人を数える。この後援会が今日の平沢勝栄氏のドブ板選挙を支える基礎となっている。
11:33
平沢勝栄1945年岐阜県に生誕。1968年東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。米国デューク大学大学院留学・修士課程修了。在英日本国大使館一等書記官等を経て、中曽根内閣の後藤田正晴官房長官秘書官、警視庁防犯部長、岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房審議官等を歴任。
11:06
平沢勝栄、1996年10月の総選挙で衆議院議員に初当選。衆議院議員当選六回(2013年時点)自民党法務部長、衆議院拉致問題特別委員長、内閣府副大臣などを経て、衆議院外務委員長、慶応大学大学院講師(非常勤)も務める。
12:22
平沢勝栄氏は言う「都会の選挙は"お盆の上に乗ったアズキ"と同じだ。お盆を傾ければアズキがドーンと低い方に集まるように、少しでも風向きが変われば、これまでの順風が、あっという間に逆風になってしまうものだ。油断できない。」と気分を引き締めている。