2017/09

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12:31
もうひとつは、平沢勝栄氏が東京十七区に縁もゆかりもなかったからだ。生まれ育った場所ではないので、個人的な支持基盤は皆無だった。だから長く政治活動を続けるためにも強固な後援会が必要だったのである。

11:48
平沢勝栄氏はなぜ後援会づくりに励んだのか。1つは、選挙区が下町とはいえ都市部にあるからだ。無党派層の多い都市部ではあるが、確実な固定票を確保しておく必要があると考えたからだ。

12:21
その後平沢勝栄氏は、強固な支持基盤を構築するため三種類の後援会づくりに力を入れた。それは「一定の地域を主体とした地域後援会」「農協関係、税理士会有志など特定の母体を中心にした後援会」「政治資金を集めるための後援会」などである。

12:52
鯨岡さんは当時、衆院の副議長だった。衆院議長や副議長は、広汎かつ強大な権限を有していることから厳正、公平、中立を要求される。このため普通は党籍を離脱する。そういった中で鯨岡さんは後藤田さんの依頼もあって自らの後援会員に対し平沢勝栄氏の後援会に鞍替えするよう働きかけてくれた。
12:52
後に平沢勝栄氏は「多くの人たちのおかげで、そしてとりわけ島村さん、鯨岡さん二人のおかげで当選できたようなものである」と語る。

12:45
平沢勝栄氏が自民党の公認候補となる以前は中選挙区制で、小選挙区制の導入で新たに中選挙区の一部が東京十七区となった。元々は島村宜伸さんと鯨岡兵輔さんの先輩二人が地盤としていたところである。
12:45
後藤田正晴氏の働きかけもあって、島村さんは自身の後援会の集会で平沢勝栄氏を紹介し、次の衆院選では「東京十七区では自分に票を投じることはできないので平沢勝栄氏を応援するように」と要請してくれた。そのおかげで、後に立ち上げた私の後援会には旧島村後援会の幹部の人達が名前を連ねてくれた。

11:34
二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることから極めて楽な選挙となるが、当時、平沢勝栄氏にはその基盤となる後援会が全くなかったのである。

11:17
1995年12月、自民党の公認候補として東京十七区に事務所を構えた時、当然のことながら平沢勝栄氏は後援会を持っていなかった。政治家にとって後援会というのは、膨大な時間と労力をかけて作りあげるもので、いわば政治家の命綱だ。

11:42
平沢勝栄の仕事9:冠婚葬祭をはじめ日常行事への参加。

11:46
平沢勝栄の仕事8:地元での国政報告などの後援会活動。

15:06
平沢勝栄の仕事7:いろいろな要望・陳情の処理。